朝6時半の日吉駅の周りを歩いている高校生は、ほぼバスケ部かラグビー部だそうです。ラクロス部も早い。慶應義塾高校(塾高)の部活は、どの部も本気でやる、と重松さんは言います。
重松さんのバスケ部は、週11回の練習でした。朝練は日曜日も含めて毎日、放課後の練習が平日のほとんど。本人の言葉を借りれば、高3で引退するまで「自我がなかった」3年間です。
それだけ練習していたら、勉強はどうなるのか。答えは「どうにでもなっちゃう」でした。ただ、その「どうにでもなる」には、理由が三つありました。
連載第5回は、塾高バスケ部の3年間と、勉強との両立の実際を聞きます。
話し手:重松さん(仮名) 聞き手:インタビュアー / PenBridge
朝練は毎日、日曜日も
インタビュアー: 塾高では、1年からバスケ部ですよね。練習量はどのくらいでしたか?
重松さん: 冷静に考えると、週11回くらい練習していました。朝練が毎日で、日曜日もあります。それに放課後の練習が平日のほとんど。
インタビュアー: 朝練は毎日なんですね。
重松さん: 毎日です。朝6時半くらいに日吉のこのあたりを歩いているのは、みんなバスケ部とラグビー部ですね。ラクロス部も早いです。
インタビュアー: ラクロスもそんなにやるんですか。
重松さん: けっこうやりますね。塾高は、どの部活もちゃんとやります。
「高3で引退するまで、自我がなかった」
インタビュアー: 男子校で高校生になると、出会いが欲しいな、みたいなことはなかったんですか?
重松さん: 塾高では、高3で部活を引退するまで、自我がなかったです(笑)。
インタビュアー: 自我がない。
重松さん: 部活に注ぎ込みすぎて。恋愛したいとかいう以前に、部活以外のことを考える余裕がなかった。だから、考えることすらなかったですね。いいのか悪いのかわからないですけど。
それでも勉強が回った、三つの理由
インタビュアー: その練習量で、勉強はどうしていたんですか。大して難しくないのか、先輩に助けてもらうのか。
重松さん: 三つくらいあります。一つめは、過去問です。塾高では先輩や同級生の間で過去問が回っていて、それをうまくやりくりして、必要な問題は全部手に入れていました。誰がどの科目のものを持っているか、みたいな情報を集めるのは得意だったので。
インタビュアー: 塾高らしい話ですね。
重松さん: 二つめは、先生次第、という部分です。塾高は同じ授業でも、先生によって内容が違いすぎるし、評価の仕方も違う。当たり外れがあるんです。僕はけっこう当たりの先生を引けていました。
インタビュアー: 三つめは?
重松さん: 普通部の貯金です。普通部でしっかりやっていた分、塾高の内容にはついていけました。英語だけは怪しかったですけど。
週11回の練習から、医学部へ行った同期
インタビュアー: 部活と勉強の両立で、印象に残っている人はいますか?
重松さん: バスケ部から医学部に行った同期がいます。週11回バスケをして、医学部に行く子がいるんですよ。
インタビュアー: どんな勉強をしていたんですか?
重松さん: 幼稚舎出身の子で、僕の知る限りでは、ずっと上の方にいました。それで、勉強があるから練習に行けません、とは言わなかったですね。バスケもちゃんとやっていました。すごいですよ。
PenBridge編集部より
週11回の練習は、両立というより、部活が生活の中心にあって、勉強がその隙間で回っている状態です。重松さんが「自我がなかった」と笑う3年間は、大学受験がない高校生活だからこそ成り立った時間の使い方だったのでしょう。
勉強が回った三つの理由のうち、家庭が入学前から関われるのは、三つめの貯金だけでしょう。過去問のやりくりも、先生の当たり外れも、入ってからの話です。中学の3年間で教科の基礎ができていたことが、高校で部活に全力を注いでも学業が崩れなかった理由だった、というのが本人の振り返りです。
もう一つ、重松さんの認識では、部活動の実績が学部選択で直接加点される仕組みではありませんでした(この仕組みは次回で詳しく聞きます)。それでも、どの部活も本気でやる。週11回の練習から医学部に進んだ同期の話は、部活と成績を別々に、両方とも取りに行く子がいたことを示しています。
受験がない時間を何に使うか。重松さんの話を聞く限り、塾高の3年間は、その問いを子ども自身に預ける時間のようです。
