プロを目指してテニス漬けの毎日を送っていた中学3年生が、スランプのさなかに考えます。このままテニスだけをやって、テニスコーチになって生涯を終えるのは嫌だな、と。
その数年後。渡邉さんは、インターハイ団体優勝と文系学年1位の成績を提げて、AO入試(総合型選抜)で慶應義塾大学SFC・環境情報学部に合格します。今も体育会のテニス部で競技を続けています。
挫折して競技を諦めた話でも、競技のために勉強を捨てた話でもありません。連載第1回は、テニス漬けの小中学生時代と、進路が動いた中3のスランプ、その先の高校選びを聞きます。
話し手:渡邉さん 聞き手:インタビュアー / PenBridge
プロを目指した小中学生時代
インタビュアー: テニスはいつから始めたんですか?
渡邉さん: 小学校の低学年からです。本格的に取り組むようになったのは小学3〜4年生くらいからで、中学になると海外遠征にも行くようになりました。そのころはプロを目指していました。
インタビュアー: 海外遠征があると、英語も必要になりますよね。
渡邉さん: そうですね。海外でちょこちょこ英語を使う機会があったので、週1回だけ英語の塾にも通っていました。競技のためだったんですけど、結果的にあとで受験でも助けられました。
最初は、通信制の強豪校に行くつもりだった
インタビュアー: 高校進学は、どう考えていたんですか?
渡邉さん: プロ志望だったころは、通信制の高校に行くつもりでした。テニスがすごく強くて、授業は午前中だけ、というような学校が当時の日本のトップだったんです。団体戦で全国優勝するようなチームで、強い選手が集まっていて、海外挑戦もしやすい。
インタビュアー: テニスに全部を懸ける前提の進路ですね。
渡邉さん: 中1、中2のころはテニスもある程度勝てていたので、深く考えずに「このまま頑張ろう」と、将来を楽観的に見ていた部分もあったと思います。
中3で、勝てなくなった
インタビュアー: そこから考えが変わったきっかけは何だったんですか?
渡邉さん: 中3のころにスランプになって、大事な試合で勝てなくなったんです。中学の3年間でいろいろ考えることもあって、ちょうど本当に勝てなくなったタイミングで、「高校をどうするか」を考え直すことになりました。
インタビュアー: プロは一旦やめておこう、という感覚でしたか?
渡邉さん: 半分そうですね。そのときに思ったのが、このままテニスだけをやって、テニスコーチになって生涯を終えるのは嫌だな、ということでした。だったら勉強もして、自分の可能性を広げたい。それで、勉強もできる高校を探し始めました。
「部活も受験も」ができる高校が、地元にあった
インタビュアー: 高校はどうやって選んだんですか?
渡邉さん: テニスの強豪校って、午前中だけ授業であとは練習、という体育会系のコースが中心の学校が多いんです。勉強にはあまり重きを置かないスタンスの学校も多くて。そんな中で、部活も全国レベルで強くて、なおかつ大学受験を目指すコースに所属しながら部活ができる高校が、たまたま地元にありました。
インタビュアー: 珍しいタイプの学校ですね。
渡邉さん: 珍しいと思います。本当は一人っ子なので家を出たくて、県外の学校も考えていたんですけど、地元にそういう高校があったので、そこに決めました。
PenBridge編集部より
競技に打ち込む子どもの進路は、「プロを目指すか、勉強に切り替えるか」の二択で語られがちです。渡邉さんが選んだのは、そのどちらでもありません。競技を続けながら、可能性を広げておく。二択の外に、三つめの道がありました。
転機がスランプだったことにも、目を留めたいところです。勝てていた中1・中2のころ、将来は楽観的に見えていました。壁にぶつかって初めて、「テニスだけの人生でいいのか」という問いが生まれています。競技の停滞は、本人にも家庭にもつらい時間です。ただその時間は、競技をやめる理由になるだけではなく、進路を考え直す機会にもなりえます。
もう一つ、この転身には受け皿がありました。強豪部活に入りながら大学受験コースに籍を置ける、という学校の構造です。両立は本人の根性の問題に見えて、実際には学校選びの段階でかなり決まっています。
お子さんが競技で伸び悩んだとき、かける言葉とあわせて、「どの学校のどのコースなら、何と何を両立できるのか」を調べてみる。偏差値や大会成績の一覧からは、この構造は見えません。
